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六道の辻 六道珍皇寺 [京都の風物]

六道の辻と呼ばれる位置にある六道珍皇寺にやってきた。

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。

山号は大椿山。本尊は薬師如来。


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8月7日 - 10日の「六道詣り」、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる。

通称「六道さん」。この付近が「六道の辻」であるとされる。


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創建は延暦年間とされ、開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされる。

異説もたくさんあり、何が本当なのかは不明。


紅い門の前には、石碑が有り、なにやら書いてある。

が、私には、よくよく見ないと読めない。

書道の碑ならともかく、書くなら、誰でも読める文字で書いて欲しいものである。


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謡曲 熊野からの引用らしい。

が、この「熊野」は「ゆや」と読むらしい。

能を代表する曲の一つと言われている。

碑の文を調べてみると

「愛宕の寺もうち過ぎぬ六道の辻とかや
げに恐ろしやこの道はめい土にかふなるものを」

(愛宕の寺も打ち過ぎぬ、六道の辻とかや
げに恐ろしや此道は、冥途に通ふなるものを)

となるようだ。

六道の辻は、げに恐ろしき場所なのだ。

現に今でも、この五条坂の東山には鳥辺野墓地が有り、

西本願寺の大谷墓地が有り、東本願寺の納骨堂があり、

京都市の火葬場までがある。

ここから東は、死者の世界である。

その昔、都人は死者が出ると、ここ六道の辻で葬儀をして鳥辺野に葬った。

現世と死者の国との境目が六道の辻なのだ。


さて、六道珍皇寺に話は、戻りますが


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境内には、薬師堂


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迎鐘堂


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この鐘楼は、ちょっと変わっていて、鐘は見えない。

外から鐘突き棒で鐘を突き、音だけを聞くだけである。


閻魔・篁堂


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この寺と縁がが深いのが


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小野篁(たかむら)である。

webの資料によれば

「小野 篁延暦21年(802年) - 仁寿2年12月22日(853年2月3日))は、平安時代前期の公卿・文人。

参議・小野岑守の長男。官位は従三位・参議。

異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。

小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)。

身長六尺二寸(約188cm)の巨漢でもあった。


逸話と伝説
篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が

『江談抄』、『今昔物語集』、『元亨釈書』といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての書籍に紹介され、

後世の『本朝列仙伝』(田中玄順・編、1867年・刊)など多くの書籍に引用されている。

『江談抄』では三の三十九において、藤原高藤が急死した際、

閻魔庁の篁によって冥土からの生還を果たしたことが記されている。


『今昔物語集』巻第20第45話「小野篁、情に依り西三条の大臣を助くる語(小野篁依情助西三条大臣語)」によると、

病死して閻魔庁に引据えられた藤原良相が篁の執成しによって蘇生したという逸話がある。
『元亨釈書』 では、巻の九にある矢田寺(金剛山寺)の滿米(満米)上人の項において、

篁が閻魔大王に菩薩戒を授ける人物として上人を紹介する。

この物語は「矢田地蔵縁起」として描かれ、京都矢田寺(重要文化財指定、京都国立博物館寄託)、

奈良矢田寺(非公開)、奈良国立博物館、根津美術館などに残されている。

この伝説に基づき、京都矢田寺の梵鐘を「送り鐘」と称して六道珍皇寺の「迎え鐘」と対の存在としている。


冥府との往還には井戸を使い、

その井戸は、京都東山の六道珍皇寺(死の六道、入口)と

京都嵯峨の福正寺(生の六道、出口、明治期に廃寺)にあったとされる。

また近年六道珍皇寺旧境内から井戸が発見され、

六道珍皇寺ではこの井戸を「黄泉がえりの井戸」と呼称している。

六道珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されている。


京都市北区にある篁のものと伝えられる墓の隣には、紫式部のものと言われる墓があるが、

これは愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくものである。


『江談抄』の藤原高藤蘇生譚(上記参照)の前段(三の三十八)において、

篁は悪ふざけで高藤を百鬼夜行と遭遇させた伝説が語られている。


嵯峨天皇が「無悪善」という落書きを読めと篁に命じたが、篁はなかなか応じようとはしない。

さらに天皇が強要したところ、

篁は「悪さが(嵯峨)無くば、善けん」(「嵯峨天皇がいなければ良いのに」の意)と読んだ。

天皇は、これが読めたのは篁自身が書いたからに違いないと非難し、

篁は「どんな文章でも読めます」と弁明したため、

では「子子子子子子子子子子子子」を読めと言ったところ、

篁は「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読み解き事なきを得た(『宇治拾遺物語』巻三「小野篁広才事」)。


『江談抄』三の四十二にも類話が見えるが、

こちらでは「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」を

「月夜には来ぬ人待たるかき曇り雨も降らなん恋つつも寝ん」と読み解く。


『白氏文集』が御所に秘蔵されていた頃、

嵯峨天皇が戯れに白居易の詩の一文字を変えて篁に示したところ、

篁は改変したその一文字のみを添削して返したという(『江談抄』四の五)。」

とある。


今なお、本堂背後の庭内には、篁が冥土へ通うのに使ったという井戸があり、

近年旧境内地より冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見された。

そばには篁の念持仏を祀った竹林大明神の小祠がある。


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六道珍皇寺の正面には、碑が建っている。


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それを回り込むようにして、本堂に至る。


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その本堂の右手には、


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こんな扉が有り、扉の桟の間だから「冥土通いの井戸」が見れるようになっている。

中には入れない!


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そんなバカなと思うのであるが、伝説なので角を立ててもしょうがない!

が、小野篁の歌は、素晴らしい。

百人一首にも、取り上げられていて、皆さんもおなじみの歌である。


参議篁(小野篁)(百人一首より)
 小野篁は詩人や歌人などとして有名です。
「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」


というわけで、この歌をもって、今日のブログは終わりとします。



 


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六波羅蜜寺 [京都の風物]

京に住み始めて半世紀以上になるが、これまで行ったことのない場所に出かけてみた。


場所は、五条坂より北側、鴨川より東側、東大路通りより西側、四条通りより南側の区域。

平安の昔、この地帯は,現世と他界の境目とされたところである。

この地域から東側は、「鳥辺野」と呼ばれて火葬場と墓地の地域で、

平安時代以来の墓所として、北の蓮台野、西の化野とともに京都の三大墳墓地をなしている。

そんな場所の一角に六波羅蜜寺があるのだ。


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六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。

山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基(創建)は空也。西国三十三所第17番札所。


踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に

造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。


空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、

この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、

病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。


空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行った。

当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。


空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。


平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。

またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近である。


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これは平清盛公の塚だそうだ!


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本堂


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「迎鐘」という小さな楼があり、その奥に仏像が並んでいる。


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境内には、絵馬じゃなく、願いを書いた小石が・・・・・・・・


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かと思えば、分けもなく置かれた「なで牛」の像が・・・・・・・


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なんかとりとめもない寺に思えて仕方がなかった。

歴史のある寺社に感じる荘厳さというものを私は、全く感じなかった。

由緒ある寺院なのに不思議である。

本堂が朱塗りだというのも、あまり見かけない寺院である。

で、さっさと帰ることにした。





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知人の作品展を見に出かけた! [京都の風物]

知人の作品展が行われているというので友人と出かけた。

五条大和大路を下ったところにある「あまた」というギャラリーだ。

途中、京都にはあちこちにある路地を発見した。

奥に白雲大明神があるというので、覗いてみる。

路地の突き当たりに祠があった。


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入り口の上には、この路地の中にある家の表札が上がっている。

なるほど、こうしておけば、表通りから知ることが出来た便利だ。


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目的のギャラリーは、というと、これ


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ちょっと意外な感じがした。

入り口には、


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これって本当にギャラリーなの?って感じなのだ。

でも、ポスターは知人の作品である。


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3種の作品を展示しているらしい。

とにかく中に入ってみると、知人の作品も並んでいた。


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作品の素材は、チーク、ケヤキ、シタン、ナラ、アオコクタンだという。

固い木材の色合いを考慮し貼り合わせて作成した作品である。

素材の色をそのまま使ったもので着色はしていないというのは驚きである。


さらに彼は木工作品だけでなく、執筆活動もされている。


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「原風景を歩く」は333ページのハードカバー本である。

北海道以外の全国を日本の原風景をを求めて行脚した記録で、カラー写真入りの作品である。

出版社は、冬至舎。

私もこれを買っています。

さらにホルダーも2個買いました。


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私の思い浮かべるギャラリーとは、はなはだ異なるギャラリーだけど

川上氏の作品は、お気に入りです。


店内は、こんな感じ!


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なんの変哲もない住宅街にこのお店だけが、周囲とは異なる雰囲気を持っていて

時折、ヨーロッパや中近東から来たらしい観光客が入って来ました。





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